【コロナ渦の帰国】自主隔離終了‼東急ステイ蒲田で15日間の快適なホテルライフ。
2021年1月現在。海外からの帰国・入国者は待機施設又は自宅での14日間の自主隔離(待機期間)を求められています。今回バルセロナからの帰国に伴い、ホテルで自主隔離をしたのですが14日間の待機期間が終了し自宅に戻りました。
自主隔離は”義務”ではない。
まず初めに、帰国後の14日間の自主隔離は強く要求されていますが、指示に従わなかった所で罰則はありません。※2021年1月現在。
海外からの入国者に対しての水際対策の詳細については、厚生労働省のHPに分かりやすく書いてあるので参照下さい。
この14日間の待機期間は、”検体採取日の翌日”つまり帰国した翌日からカウントされます。帰国日当日は含まれないので、ホテル待機をする場合は15泊分の予約が必要です。
検疫では自宅やホテルなどの待機場所までの移動は公共交通機関以外の方法を確保しているか確認されます。しかし出口を出てしまえば全く確認されることはありません。
14日間は出来る限り人との接触を避けて待機場所からの外出も極力控えるように要請されています。私は必要限の買い出し以外はホテルの部屋から出ませんでしたが、外に出たところで誰も私がスペインから帰国したばかりとは分からないので外出しようと思えばいくらでも出かけられる状態です。
一度だけ管轄の保健所から体調確認のメールが届きましたが、それ以外の追跡調査はありません。一応帰国時に空港で陰性を確認されているし、国内での感染が増えているので症状の出ていない入国者の追跡に時間を割く段階ではないのでしょうが、この水際対策は入国者のモラルが問われるなと思いました。
いくら14日間の待機を強く要請されたとしても、こんなに馬鹿正直に決まりを守っている人の方が少ないような気がします。
隔離対応ホテルの探し方
私が待機期間に宿泊するホテルの予約をしたのは2020年12月上旬。この頃はまだGO TO トラベルのキャンペーンが実施されていて、これは帰国者も利用することが出来ました。キャンペーンを利用することで予約時の料金は30%割引が適応された料金となりました。
やっぱりホテル待機の一番の問題は宿泊費なので、GO TOキャンペーンは「助かったー!」と思いました。実際の所、帰国前にキャンペーンが休止されて通常料金を支払うことになったのですが、元の金額が大きいだけにこの差額は懐に響きました…。
日本帰国後のホテル待機についての情報が以外と少なくて、どこに宿泊するか迷ったのですが、予算の関係や空港からの移動を考慮すると蒲田周辺のホテルに絞られました。
まずは予約サイトで検索して、ホテル内の設備や周辺環境を考慮して宿泊するホテルを決めたのですが、念のために予約する前にホテルに連絡して帰国者の受け入れは問題はないか確認しました。
・帰国時の検査で陰性だった場合は受け入れは可能。
・帰国時の検査で陽性だった場合はキャンセル料は不要。
・予約サイトからの予約で問題なし。備考欄に海外からの帰国の旨を記載すること。
以上の事を確認して、ホテルを予約しました。その後はホテルから待機期間の宿泊についての案内メールが届きました。
羽田空港の検疫で滞在先を聞かれた時に検疫の職員の方は周辺のホテルリストをみて確認していたし、滞在のホテルまでの無料のシャトルバスも出ています。空港周辺のホテルで宿泊を断られることはないと思いますが、予約の前には念のためホテルに連絡した方が安心です。
東急ステイ蒲田は自主隔離に最適!
今回私は東急ステイ蒲田に滞在しました。
2週間ほぼすべての時間をホテルで過ごすとなると、部屋の広さや水回りの設備はとても重要!!でも予算は限られているので必然的に選択肢はビジネスホテルしかありませんでした。
ベッドはセミダブルがいい。
バスタブが広い方がいい。
パソコンを使える机がある。
近くにスーパーやコンビニがある。
THEビジネスホテルの内装は嫌だ。
1泊6000円以内。
蒲田・大森周辺にはわがままな基準を満たすホテルがいくつかありました。しかも、オリンピック需要を見込んで建設されたのか、新しいホテルも多いです。
ホテルの外観の写真を撮るを忘れましたが、普通のマンションみたいな外観です。
早く着いたのでアーリーチェックインの対応をしてもらいました。道中に財布を無くしたため15泊分の宿泊費全額をチャックインの時に払えなかったのですが、2回に分けての支払いに対応して頂けて、とても助かりました。
エレベーターはルームキーをピッとかざさないと動かないので安心です。
お部屋は5階。
のびのびと寝るには十分なセミダブルのベッドだし、シンプルモダンなインテリアでとても落ち着きます。ベッドは固めなので、ふかふかのベッドが好きな人にはダメかもしれません。
部屋は四畳半くらいの広さなので少し狭くて、ベッドのすぐ横にデスクがありました。椅子の左側にある四角くて白いのが冷蔵庫です。この冷蔵庫はあまり冷えないので冷蔵の食品の保存はあまり向かないです。ビールも「少しひんやりしているかな?」くらいしか冷えませんでした。
バスタブは大きくて余裕で足を伸ばせたので、何回もお湯をためて湯舟につかりました。1年ぶりのお風呂は極楽気分。
部屋のドアのそばにドラム式洗濯乾燥機と電子レンジ、ケトルがあります。今回東急ステイ蒲田にした一番の決め手はこの設備があったからです。
電子レンジがあればレトルト食品が食べれるから、毎回コンビニ弁当やお惣菜を買うよりは節約になるし、まとめて買ったものも温めて食べられるのでとても重宝しました。 ガラスコップ、平なお皿と深めのお皿、フォークとスプーンも2セットずつありました。
それから、ほぼずっと部屋着なので毎日は洗濯する必要はないけど、部屋から出ないで洗濯が出来たのはすごく便利でした。コインランドリーがあるホテルは多いけど、使用中だったり、洗濯機を回す時と洗濯物を回収する時で最低2回は行かないといけないとなると結構面倒なので。このおかげでスーパーで買い置きしたあとは、ほぼ部屋から出る事なく過ごすことが出来ました。
部屋は狭いので大きめのスーツケースがギリギリ開けられるくらいのスペースしかありません。スーツケースを開けたままにしていると 通路が塞がれて移動が大変です。
入口で靴を脱ぐタイプなのも嬉しい。使い捨てスリッパもありました。
室内清掃は6泊以上の宿泊は週に一回。タオルの交換やゴミの回収も週に1回だけです。
タオルはバスタオルとフェイスタオルが2枚ずつあるので自分で洗濯して使います。 滞在中に2回室内清掃があって、清掃中の30分くらいは部屋を空ける必要がありますがそれ以外はほっておいてくれます。
予約サイトを見ると30泊プランとかもあるので長期滞在を想定しているみたいですね。
私は利用しませんでしたが、朝食サービスもあります。普段は朝食バイキングがあるそうですが、今はコロナのためプレート式に変更になっているそうです。
今回は2週間滞在しましたが、長期滞在向けの設備があるのでストレスフリーでとても快適に過ごすことが出来ました。自主隔離先を探している人には本当におすすめです。
最寄りの京急蒲田駅までは徒歩5分。羽田空港までは10分なので空港へはとても便利な立地です。埼玉在住だと都内のホテルに泊まることなんてまずないのですが、 羽田早朝発の飛行機を使う時には利用したいなと思いました。
14日間の隔離期間中の生活。
「2週間もホテルなんて大変だね!」
知り合いみんなに言われたのですが、2週間のホテル隔離生活は一言でいうととっても快適でした。
はじめの1週間は時差ぼけのせいで明け方に就寝、午後に起きる生活だったので、外に出かけたいとあまり思わなかったし、Netflixでドラマシリーズを見ていたらあっという間に時間が過ぎました。スペインでもNetflixに加入していましたが、日本語字幕のある作品は少ないので映画やドラマを楽しむというよりは勉強のために加入していた感じで、見たい作品が全部日本語対応になっているのは最高。私は10時間くらいドラマをぶっ続けで見ても全然苦にならないので寝る時とトイレとお風呂以外はほぼドラマを見ていました。
2週間目には時差ぼけも治ってきて買い物と運動の為に短時間だけ外出もしましたが、基本はホテルで過ごしました。お休みしていたItalkiでの日本語のクラスも再開したので時間を持て余すことは全くなかったです。
バルセロナにいた時から家で過ごす時間がとても多くて”引きこもり”生活気味だったので、場所がホテルになっただけでやっている事はほとんど変わりませんでした。バルセロナの家は暖房がなくて寒さで震えるほどだったので、ホテルのぬくぬくした暖かい居住環境がまさに天国。
少しは正月気分を味わいたいと思って、元旦には1人用のお節料理とスペインのビールを楽しみました。実家で食べるお節よりおいしかった…。
あとはバルセロナから持ってきたお菓子を食べたり、晩酌でワインを飲んだりしてのんびりと隔離生活を楽しみました。
正直言ってホテル生活が恋しいです。今は実家に帰ってきましたがチェックアウト前日には「家に帰りたくない。」と思ってしまいました。
自主隔離2週間でかかった金額
自主隔離について一番気になるのはお金の問題。
今回の2週間のホテル生活でいくらかかったかどんぶり勘定でお伝えします。
宿泊費…15泊で8万7800円
食費…15日間で約1万4000円
合計…10万1800円でした。
年末年始の宿泊だったので、数日間は宿泊料金が高めでした。オフシーズンだったら更に数千円は安くなると思います。私はじゃらんから予約しましたが、ホテル比較サイトで確認した所あまり違いはありませんでした。
食費はレトルトごはんにメインのおかず一品と納豆にインスタントの味噌汁、レトルトカレーで食べたり、たまにカップラーメンを食べたりしました。あとは千切りキャベツやサラダ、カットフルーツを買ってあまり偏食にはならないように気をつけました。
お菓子類やビールとワインはバルセロナから持ってきたものがあってので購入せず、カルパスやさきイカなどおつまみを少し買ったくらいだったので食費はあまりかからなかった方だと思います。
この金額を高いと思うか、安いとは思うかは価値観次第です。 宿泊費や食費は節約しようと思えばもっと節約できるし、贅沢しようと思えばキリがありません。
私は帰国するためだけに10万円は正直高いと思います。でも自宅で隔離することは難しくホテル滞在は避けらない状況で、最低限快適な環境と不摂生にならない程度の食費となると妥当な金額かなと思います。
なので、ホテルで隔離をする場合は大体10万円くらいかかると思ってもらえれば間違いないのではないでしょうか。
まあ10万円あったら他に使いたかったという気持ちは今でもありますが、”家族に移してしまうかもしれない”という心配はしなくてよかったし、ホテル隔離をして良かったと思っています。
【家に帰るまでがワーホリ②】おもてなしは健在‼コロナ渦の日本入国からホテル到着まで。
2020年大晦日日本に帰国しました。前回はバルセロナの家を出発して飛行機でフランクフルトまで到着したお話。今回は旅の後編、家に帰るまでがワーホリということで、最後まで気を抜くことは禁物と思い知った 旅の後編のお話しです。
ANA、そこはもはや日本。
フランクフルト発ー羽田着のフライトは13時搭乗開始予定。15分前くらい前にはANAのゲート前に到着していたのですが、やっぱり日本行きの飛行機ということで日本人ばかりでした。
年末からイギリス等の新型コロナの変異種が確認された国から日本への渡航には出発72時間以内のPCR検査を求められるようになったので(ない場合は指定の場所で待機が必要。)、ANAの職員さんが概要する乗客に確認をしていて、その影響なのか予定より10分くらい遅れて搭乗開始。
ちなみにスペインからの渡航も1月1日から同様の処置がとられることになりましたが、私は12月31日に到着だったのでギリギリ不要でした。
乗客はそこそこいましたが、大体は1人で1列三席使用できるくらいの混雑具合でした。「長距離フライトでも1列1人で使えれば足も伸ばせるし、横にもなれるし、そんなに疲れないだろうな…。」と思っていましたが、残念なことに私の列には1人乗客がいました。1つ空席を挟んでいるので圧迫感こそありませんが、足を伸ばしたりできないのでしんどかったです。まあ、お相手も同じことを思っていたでしょう。
見慣れた青を基調とした機内に、飛び交う日本語、食事前のドリンクサービスにあったかい緑茶とおつまみのスナック、日本式のサービスに気分はもう日本でした。
機内食以は”ドイツ発ならマッシュポテトだろう!”と思って洋食プレートにしましたが、お稲荷さんや切り干し大根などの副菜もどれも普通においしかったです。
CAさんがマスクを常時着用していることや、食事サービスの時に手袋を装着していましたが、コロナの影響で機内サービスに大きな変化はないように感じました。食後のアイスは以前はハーゲンダッツだったけど今回は安そうなアイスだったので、ここらへんは経費削減のためかもしれませんね。
それから、免税品や機内のエンタメの冊子などはなくなっていて、座席モニターで確認するようになっていました。私にとっては”別に見たくないけどとりあえず見ておくか”的な立ち位置なものだったので、なくても特に困りませんでした。
航空業界はまだまだコロナの影響で厳しい時期が続くかと思いますが何とか頑張ってもらえればいいですね。
まさかここで⁉バルセロナの洗礼。
ご飯を食べた後、税関申告書とコロナの検疫申告用紙に記入をしました。
検疫申告用紙には、帰国後14日の待機期間と滞在先を記載します。※2020年12月31日時点
↓
税関申告書記入
↓
財布の紙幣交換
大体この流れでルーチン化しています。
日本に到着後にすぐに使えるように飛行機の中で財布の中の現金を外貨から円に入れ替えるのですが、財布を出そうとした時、あることに気が付きました。
「あれ、財布がない。」
あるはずの財布がショルダーバッグの中にありません。最後に使ったのはバルセロナの空港の自販機で水を買った時、その後は見ていません。
「違うところに入れたのかな。」
座席下のリュックの中にも財布はありません。
座席上の棚に入れたトートバッグを取り出して、全部中身を出してみます。そこにはカメラ、ノートパソコン、大量のお菓子、機内で使うスキンケアが入ったポーチ、人形、そして破裂した袋から出たと思われるポテチが数枚。
トートバッグにも財布はありませんでした…。
バルセロナはスリが多いことで有名です。
そう、私は最後の最後にその被害にあったのです。
色んな人に「治安は悪くないけど、スリにだけは気をつけて。」と言われてきたし、外に行くときはスマホや財布に注意してきたので、幸いにも滞在中はスリに合うことはありませんでした。それなのに、今財布を無くすなんて…。
単純に私が落とした可能性もゼロではありませんが、思い当たることが一つ。バルセロナで飛行機の搭乗待ちをしていた時です。イヤホンで友達とビデオ電話をしていた時に周りに結構人がいたし、セキュリティー検査のあとで荷物がぐちゃぐちゃになっていたのでその時にすられたのだと思います。
幸いなことに現金は10ユーロだけ。クレジットカードとキャッシュカードが入っていましたが、暗証番号を入力しないと使えない仕様なので日本についてから解約の電話をすれば大丈夫だろうと自分を納得させます。
最後にバルセロナの洗礼を受けることになって、気が付いた時にはどっと疲れが押し寄せてきました。
本当にスリには気を付けて下さい。
晴天の大晦日!日本に到着!
財布を無くしたことに気が付いて落ち込んだり、仮眠したり、2度目の機内食を食べたりしている間も飛行機は進みます。
到着予定は日本時間の午前9時。日本に近づくほどに徐々に夜が明けてきました。通路側の席だったのでよく見えませんでしたが、雲一つない空に朝日が昇って空が赤く染まってとても綺麗。着陸態勢になる頃にはすっかり夜が明けて、東京湾上空から東京の街並みや富士山がくっきりと見えて”日本に帰ってきた!”という思いが溢れてきました。
着陸してからボーディングブリッジに着くまでは、フランクフルトの時と同様にいつもより早かったように感じます。
入国に当たって混雑を避けるために機内で待機する場合があると聞いていましたが、ほぼ待ち時間なく飛行機から降りることが出来ました。
この時点でバルセロナの家を出発してから20時間以上。そろそろ疲れも溜まってきましたが、朝の光を浴びてあとひと踏ん張りです。
さて、これから入国の前に新型コロナの検査があります。
到着後、入国者は入国後の検疫管理のためにQRコードを取得します。これ事前に取得していることを前提としているようですが、日本到着時に取得しても問題はありませんでした。出発国、日本国内の連絡先、滞在先と滞在先までの移動経路を入力したと思います。QRコードを取得したら、検査のための番号を貰います。ここまでが同じ部屋で行われます。
さらに少し移動して、唾液検査の検体容器を貰い、唾液採取、検体を提出します。選挙の投票所みたいに人が1人入れるだけのスペースがいくつか並んでいるので、唾液を採取している姿は見られません。
検体を提出したらまた少し移動して、次は14日間の隔離期間の滞在先と移動方法についての聞き取りがあります。ここには20人くらいかかりの人いました。ここで滞在先のホテルまで送ってくれる無料のシャトルバスのチケット(用紙)をくれました。因みに私はホテルの位置が正確にわからなかったのですが、ここで対応してくれたお姉さんが調べてくれました。
最後にまた少し移動して唾液検査の結果を待ちます。ここは普段は搭乗ゲートとして使われている所でした。検査結果が出次第掲示板に番号が出るので、自分の番号が出たら受付に行くという形でした。私はここに着いてから30分くらいで呼ばれましたが、混雑具合によってはもっと時間がかかると思います。
そして検査結果が陰性だったら、証明書をもらって、入国審査に進みます。
到着からここまでに大体1時間ちょっとかかりました。分かりやすく時系列にするとこんな感じです。
①羽田空港到着
↓
②QRコードを取得
↓
③管理番号取得
↓
④唾液検査受付・採取・提出
↓
⑤14日間の待機期間の聴取
↓
⑥検査結果判明・証明書取得
飛行機が止まるのは端のゲートで検査や聴取のために歩いての移動が多いです。案内の用紙や職員の人もいるので迷うことはないと思いますが、子ども連れや高齢の人は少し大変かもしれません。
何はともあれ、陰性証明を手にして晴れて日本に入国です。
コロナ渦でもおもてなしは健在。
入国審査を済ませて荷物受け取りまで行くと、なんということでしょう!全ての荷物はきれいにカートに乗せられていました。ANAの職員さんが、1グループずつ分けてカートに乗せて名札の用紙までつけて準備してくれていたようです。
飛行機が到着してから入国審査を抜けるまでの時間がかかるし、荷物受け取りは蜜になりがちなので合理的な対応だと思いますが、すぐに外に出れるのは本当に有難かったです。荷物待ちの時間て旅行中を通して一番疲れを感じる瞬間だと思うので…。
税関を抜けて出口に向かうと、キティちゃんがお出迎えしてくれました。
無料のシャトルバスは1時間に一本。
まだ30分程時間があったので、ここで両替。返金されたピソのデポジットの残り450ユーロと手持ちのアメリカドルで大体6万円くらいの現金を手にしました。
それから、到着ロビーにあるシャトルバスの待合席で待っていると、係の人が声をかけてくれてバス停まで案内してくれました。
私は11時発の蒲田・川崎方面のシャトルバスに乗ったのですか、利用客は大体5組くらい。シャトルバスのチケットをもらった時に「送迎は駅までなので、駅からは徒歩でホテルまで行って下さい。」と説明を受けたのですが、実際には利用客が滞在するホテルの近くで停車して下車することが出来ました。順番にホテルへ送迎してくれるので、私のホテルについたのは空港を出発して40分後くらい。
12時前にホテルに到着して、アーリーチェックインにも早すぎるので荷物を預けて近くのスーパーに食料の買い出しに向かいました。スーパーは流石に大晦日の昼ということもあって少し混雑していましたが、年末年始ならではの食材が並んでいて見ていて楽しかったです。ゆっくり吟味していたら1時間近く経っていたのでホテルに戻ってチェックインすることにしました。
ここで問題発生です。今回自主隔離で15泊予約していたのですが、料金はチェックイン時に現地払いということでまだ支払いは済んでいませんでした。
財布を無くしたのでクレジットカードがありません。現金は空港で両替して手に入れた7万円だけ、15泊分を支払うためのお金が足りません!!
ホテルの人に事情を説明し、若干困惑されていましたが今払える1月9日までの宿泊代だけ支払いし、残りはそれまでに支払いをすることで対応していただけました。
ラッキーなことに去年の9月に更新された新しいクレジットカードが自宅にあったので、家族にホテルまで書留で郵送してもらうことが出来たので何とか事なきを得たのですが冷や汗をかきました。
そしてバルセロナの家を出発してから25時間、やっとホテルの部屋にたどり着きました。この時で午後1時くらい。 ホテルの部屋は広くはないですが、必要なものが全てそろっているので快適です。ごはんを食べて、お風呂に入って、やっと横になれました。
目が覚めたのは夜11時頃。友達とメッセージのやり取りをしていたらいつの間にか年越ししていました。これで2020年は終わりです。
正月は日本で正月ムードを感じて過ごしたいなと思って大晦日に帰国することをきめたのですが、大切なのは正月を迎える準備をする工程なのではないかと思いました。
スペインでは1月6日まではクリスマスが続きます。今までクリスマスツリーを見ていたのに、日本に帰国して急に門松を見て正直頭が混乱しました。
最後までハプニングはあれど、無事に?帰国できてよかったです。
これから投稿していなかったバルセロナの記事を書いていきたいと思います。
【家に帰るまでがワーホリ①】ワーホリ最後の奇跡!長い長~い帰国までの道のり。
2020年12月30日、これにてスペインワーホリは終了!早朝6時35分の飛行機でバルセロナから旅立ちました。家に帰るまでがワーホリということで、飛行機ではバルセロナらしい出来事もあり、17時間の日本への帰路は幸先よく始まりました。
3時に起きて、4時に出発!
帰国前日22時頃にシェアメイトとのお別れを済ませ、その後に部屋の片付けや掃除を終わらせてベッドに横なったのは午前0時半頃。
午前3時にかけたアラームの音で目を覚ましました。
タクシーのお迎えは午前4時。残り一時間で私には3つのミッションが残っていました。
1、シェアメイトにあげるメッセージを書く。
2、コーヒーを飲みながらカップケーキを頂く。
3、秘密です。
1時間あれば優雅にコーヒーを飲んで感傷に浸りながら3つをこなせるだろうと思っていましたが、早朝の働かない脳では難しい話です。
シェアメイトへのメッセージカードと小さいプレゼントはきちんと用意が出来ましたが、写真を撮ることが頭から完全に抜けていました…。
食べる時間なんてないのでカップケーキはジップロックにぶち込み一緒に空港行き。小腹を満たすためにビスケットを食べてコーヒーを流し込むので精一杯。
私がギリギリまでやらなきゃいけないことを先送りし過ぎていたせいなのですが、やる事が多過ぎて干渉に浸っている時間もなく1時間は過ぎていきました。
でもさすがに4時にタクシーが下に着いたと電話がきて、何もなくなった部屋の電気を消す時は少しセンチメンタルになりました。
荷物はスーツケース1つと45Lのバックパック1つ。それから機内持ち込みするパソコンやかさばるお菓子が入ったトートバック1つに、小さめのリュック、財布やパスポートを入れる小さめのショルダーバックです。
スーツケースを受け取ったタクシーの運転手さんが「重い」という小さな悲鳴を上げたので、荷物の重量制限に一抹の不安を抱えつつ空港に向かいました。
早朝4時の道は暗くとても静かで、いつもの喧騒とは程遠く少しもの悲しい雰囲気です。
空港に向かうまでのタクシーやバスの車内て何とも言い難い切ない気持ちになりませんか?
私はなります。
空港で潰れたカップケーキを食す。
家から空港まで25分くらいで料金は37ユーロくらい。市内は夜間外出禁止が続いているため車は全くいなかったです。
「入口は一つしか開放されていない。」とタクシーの運転手さんが教えてくれました。
唯一の入り口にはセキュリティーのスタッフがいて、Eチケットを提示しないと空港内には入れません。見た感じ見送りをしている人がいなかったので、飛行機に乗る人以外は入れなくなっていると思います。
早朝なことも相まって空港内はがらんとしています。
にもかかわらず、ルフトハンザ航空のチェックインは長蛇の列。
50分くらい待ってやっと順番が回ってきました。
チェックインカウンターではまず、到着予定の国の入国が許可されているか、規定書類等を所持しているかの確認がありました。
私は日本に帰国するだけなので特に何の準備もいらないと思っていて、「日本国籍だから不要なはずです。」と伝えたら、「国籍に関わらず全ての入国者にオンラインでの登録が必要だ。」と言われました。
このルフトハンザ航空の職員さんが言っていた登録と言うのは、厚生労働省に提出する帰国後の待機期間の過ごし方や帰宅方法についての質問に回答するものの事で、日本到着後にしても特に問題ないものです。むしろ私は日本到着後に行うものだと理解していたので、この他に何か手続きをが必要なのかと少し焦りました。
「チェックインのあとでいいから登録するように。」と親切にもサイトのアドレスを書いて渡してくれてすぐにチェックイン手続きをしてくれたので事なきを得ましたが、平常時とは違うので自分でもしっかり確認しておくべきだったなと反省しました。
一難去ってまた一難、次は荷物預けです。
バルセロナから日本までは、フランクフルトを経由して、ルフトハンザ航空と全日空で帰ってきたのですが、受託手荷物は23㎏が2個まで無料です。
スーツケースが23㎏を絶対に超えているとは分かっていたので、超過した分だけで抜こうと思っていたのですがスーツケースの総量…
32㎏!
「荷物抜きます。」と言いましたが、大丈夫とのことでそのまま通してくれました。多分まだ他に手続き待ちの人が結構いたので見逃してくれたのだと思いますが、さすがに超過しすぎたので申し訳なくなりました。
セキュリティーゲートはいくつもレーンがあって待たずに通過できました、出国手続きも不要なのですぐに制限エリアに入ることができました。
トイレに行って、自動販売機でタクシーのおつりの小銭だけで買える小さめの水を買って搭乗ゲート前に着いたのが5時40分頃。出発が6時35分予定なので、搭乗手続き開始までは30分も残っていませんでした。
ゲート前で一安心したらお腹が空いてきたので、持ってきたカップケーキを食よう思ったらジップロックの中でカップケーキの上のクリームがつぶれて悲しい見た目になっていました。とはいってもクリームがスポンジの上に収まっていたので平らになって逆に食べやすかったです。
空腹を抜きにしても、今まで食べたカップケーキの中で一番おいしかったです!
友達とビデオ電話をしていると搭乗手続きが開始されたので、電話を切って飛行機に乗り込みます。
非常口座席に鎮座するバルサの青ジャージ
機内はほとんど空席がないくらい混雑していました。
ラッキーなことに私の席は非常口座席でした。非常口座席だと座席の下に荷物を置けないのが不便ですが、足元が広めなので嬉しいです。
バルセロナからフランクフルトまでは2時間ほどですが爆睡しようと意気込んでいたところ、上下青ジャージの体格のいい西洋人4人組が颯爽と現れ、私の座る列で立ち止まりました。
「全身青だとドラえもんみたいだな…。」と思っていると、彼らは背負っていたリュックを一旦座席に置いて座席につく準備を始めます。何とリュックもジャージと同じ青!そのリュックにはFCバルセロナのロゴが入っていて、よく見るとジャージの胸元にも同じロゴがついていました。
他の西洋人と比べてもあまり体格がいいので、「絶対にバルサの選手だ!」と確信!バルセロナに住んでいるとサッカー選手と遭遇することがそこそこあるそうですが、私はこの時が初めてでした。
多分サッカー大好きな人からしたら大興奮なこの状況ですが、メッシしか顔と名前が一致しない私にとっては「誰だろう…。」って感じで、ここから“この人達は一体何者なんだろうか”という考察がはじまります。
・CAさんが非常口座席の説明をするときに、「スペイン語が英語を話せますか?」と彼らに質問していたので、スペイン、英語圏、ドイツ出身ではない。
・4人中の1人は他の3人に比べて体格が良すぎてサッカー選手っぽくない。
・髪型がツーブロックの人がいる。サッカー選手はツーブロックにしがち。
・誰も水もスナックも貰わない。
これらと私の乏しいサッカー知識からは結果を導けるはずもありません。
「声をかけてみようかな…。」と思いましたが、
”もしかしたら、声かけられるの嫌かな?”
”4人お揃いのジャージ着て実は存在をアピールしていて、実は声をかけない方が失礼かも。”
”でも何て声かける?”
”いつも見てないし、応援もしていないし…。”
”サッカー選手なんですかって聞いてみる?”
”いや、バルサの選手なことは明らかだし、世界トップレベルのクラブチームの選手にその質問は流石に失礼かな…。”
など、色々考えているといつの間にか寝落ちし、目が覚めたら時にはすでに着陸態勢に入っていました。ブロンドツーブロックさんが真ん中の席から窓側に入れ替わっていたので、席を交換したようです。
私にとって非常口座席は足を余裕で組み替えることが出来るし広々快適ですが、青ジャージ4人組は背も高く足も長いので前の座席に足がついてしまってキツそうだったので、こんなときは日本人体型に感謝!
フランクフルト空港に着陸後は飛行機の数が少なく滑走路が混雑していないせいなのか、すぐにボーディングブリッジまで着きました。
結局何者か分からないまま定刻でフランクフルト空港に到着。
これからトランジットが約4時間あります。
この時間にあのバルサの選手は誰だったのかと思って、バルセロナの公式ホームから選手一覧を検索してみることにしました。すると、ブロンドツーブロックさんはフランキー・デ・ヨング選手だったことが判明‼トップチームでプレーするオランダ出身の23歳だそうです。
サッカー好きの友達に話したら興奮していたので、凄い選手なのでしょうね。
ドイツとスペインの違い
出国手続きはEU国外に出る時だけでよく、私はフランクフルト空港で出国手続きをする必要がありました。
到着したのがAゲートで、乗り継ぎ便はBゲートにありました。Bゲートへ入る時に出国手続きをしたのですが、少し分かりにくかったです。
「EUに入った日(つまりバルセロナに到着した日)のスタンプがないんだけど、今日はどこから来た?どのくらいいたの?」
出国審査官に質問され、スペイン入国時のスタンプが激薄で日付が見えなかったことを思い出しました。
「今日はバルセロナから来て、今年の1月からずっとスペインにいた。」
と言うと、ワーホリのビザの期限内だからか特に追及されずに通してくれました。
ドイツのスタンプはくっきりはっきり!スペインとは規則正しさが違うということがスタンプ一つで見て取れます。
出国審査を通過したのが9時過ぎ。乗り継ぎまではまだまだ時間があるので少しゆっくりできます。
と、ここで小さなアクシデントが!
さっきからずっとチーズと玉ねぎのにおいがして、ポテチを食べている人がいたのでそのにおいだと思っていたのですが、犯人は私で、トートバッグの中に入れて持ってきたポテチが破裂していたのでした!
このポテチはすごくおいしいのですが、においが結構きついので公共の場で食べることはおすすめしません。帰国後にゆっくり食べようと思っていたのに、それがまさか爆発していまうなんて…。袋からは出ていなかったので応急処置をしましたが、入れていたトートバッグにはチーズと玉ねぎのにおいが少し残ってしまいました。好き嫌いが別れるにおいですが、おいしいのでぜひ食べてみてほしいです。
そのあとは、机と電源のあるワークスペースを見つけたので時間を潰しながら久しぶりにブログを書くことにしました。
早朝に家を出てからそろそろ6時間。飲食以外はマスクを外せないのでそろそろ耳の後ろが痛くなってきました。これから日本までの約12時間のフライトが待っているというのにすでに疲労困憊…。
このブログの記事も思いのほか長くなってしまったので、日本帰国まではもう1つ記事を別けて書くことにしました。最後までお付き合いいただけると嬉しいです。
バルセロナワーホリ終了!2020年大晦日、日本に帰国しました!
前回の記事「ワーホリ終了3ヵ月前にして…」を書いてから3ヶ月が経過。本日2020年12月31日、日本に帰国しました。
2020年 = コロナ?
まさに今日、2020年が終わろうとしています。
【2020】
語呂もいいし、オリンピックもあるし、2020年は多くの人にとって区切りや、目標を設けたり、転機とする年にしようと思っていた人が多かったのではないでしょうか。
・2020年の東京オリンピックまでは死なない‼
・2020年の東京オリンピックまでに結婚したい‼
・2020年の東京オリンピックまでに離婚した‼
私自身は特に2020年に思い入れがあったとい訳ではなく年齢制限の関係で今年ワーホリをすることになりましたが、大きな転機になりました。
今朝、羽田空港に到着して【TOKYO 2020】の広告がいたる所にあるのを見た時に、「明日以降はこれはどうするんだろう。」と思ってしまいました。
私はオリンピックを楽しみしにていたタイプの人間なので、ここ数年羽田空港でオリンピックの広告をみて「もうすぐだなぁ…。」とわくわくしていたのですが、明日からは2021年です。
出場を予定していた選手や関係者は無念だっただろうし、予定通りに開催されていたら日本中に活気が出て華やいだと思います。
それが今では”コロナ一色”
新型コロナのパンデミックが始まる前、誰がこんな世の中を予測していたでしょうか。
今後は【2020】といえば新型コロナとなることは間違いないでしょう。
ありがとう2020年
例に漏れず、私にとっても2020年はコロナ抜きに語れない1年でした。
世界中でたくさんの人が母国に帰国する中で「こんな状況で海外で一人って強いね。」
と複数の友達に言われましたが、私としては強い気持ちをもって頑張ってスペインでのワーホリを続けていたという訳ではなくて、”流れに身を任せてみよう”という気持ちの方が強かったです。
スペインのコロナの状況は酷いもので、特に最初の3月~5月にかけての2か月のロックダウンは楽ではありませんでした。私は家から出てはいけないこと自体はそこまで苦ではなかったのですが、運動不足から体のだるさを感じたり、無気力になったりしました。
そんな中で「夏をスペインで過ごしたら、日本に帰ろうかな…。」と考えていた時もありました。22時近くまで太陽は出ているし、日本の夏と違って湿気もなく、スペインの夏は楽しいと聞いていたので、「とりあえず夏を楽しめればいいかな。」と思ったのです。
ロックダウンが功を奏して夏頃には旅行が出来たり、レストランやバルでの飲食も可能だったので”いつもと違うスペインの夏”ではありましたが、楽しい雰囲気を感じました。
更にオンラインで日本語を教える仕事をするようになり少しではありますが収入を得ることが出来るようになったことで、「もう少しバルセロナにいようかな…。」と思っていたところ、ロックダウン前にしていた日本語教室のお手伝いをまたしないかと声をかけてもらい、9月と10月は教室のお手伝いをさせてもらいました。
11月になってからはスペインでは感染者の増加から規制が厳しくなったことで、残念ながら日本語教室の開催はなくなってしまったのですが、最後の授業の日がちょうど私の誕生日だったのでお祝いもしてもらったり、とてもハッピーな時間を過ごすことが出来ました。
そんなこんなで、いつの間にかワーホリ終了まで残すところ約2ヵ月になっていました。
「折角だからクリスマスまでいよう。ビザは1月中旬までだし、切りがいいから年末に帰国して正月は日本で過ごそう!」
このようにして2020年の大晦日に帰国することを決めたのですが、約1年間スペインで過ごし晴れやかな気持ちで日本に帰ることが出来たのは色々なタイミングが重なったおかげです。
”ワーホリなのに、コロナで残念だった。”というよりも、コロナ渦のワーホリだったからこそできた経験や全く新しい挑戦もあったので、私のとっては色んな意味で印象深い1年でした。
2021年、そしてこれから。
2021年の抱負!それは勉強をすることです!
2020年も本腰を入れてスペイン語を勉強しようと思っていましたが、コロナで出ばなをくじかれ、日本語の先生の仕事を始めたことでバルセロナにいながら日本語に比重を置くことになったため、夏以降はスペイン語の勉強がかなり疎かになっていました。
新年の決意は早々に反故されることが多いですが、頑張りたいと思います。今年はDELEも受験しようと思っています。何か目標がないと続かないと思うので…。
それから、日本語の先生として、日本語教育能力認定試験の勉強も始めたいと思っています。あまり合格率が高くない試験ですが、日本語を教えるという以上は正しい知識を得る責任があると思います。
私がレッスンを行っているitalkiでは、日本語ネイティブであればコミュニティチューターとしてお金をもらってレッスンをすることが出来ます。最初はお小遣い稼ぎのために始めた日本語の先生ですが、感謝してくれる生徒さんがいるので今はもっとしっかりと知識をもって教えたなと思うようになりました。
スペインでの生活は金銭的にカツカツだったので、仕事もしてお金もしかり稼ぎたいなと思っています。仕事と勉強の両立は大きな課題ですが、仕事をしていればお金の心配なく勉強もできると思うので何とか頑張りたいです。
このブログはバルセロナワーホリの記録するために設立したのですが、実際の所あまり記事はかけていませんでした。でもバルセロナで楽しかった経験もたくさんあるので追って記事にしていきたなと思います。
2020年ありがとう。
皆様にとって、2021年が健やかで実りある1年になることを祈っています。
ワーホリ終了まで3か月にしてスペイン語がどんどん下手になっている問題。
時間が過ぎるのがすごく早く感じるこの頃。ブログの更新はしていませんでしたが、今も絶賛スペインワーホリ中です。いつのまにかワーホリ期間も残すところ3ヵ月になっていました。
一人で過ごすバルセロナの夏
スペインにワーホリにきて、3月から始まったロックダウンで外出もままならなくなり、話相手はスペイン人のシェアメイトただ一人。
シェアメイトの誕生日にはスシを天ぷらをつくってみたり、時間がある時はお互いにご飯を作ってあげて一緒に食べたり、お互いの事について話しもたくさんしました。
私のスペイン語が上手くなっていると言ってくれますが、彼女の”私のつたないスペイン語から言いたいことを理解する能力”が上がったことは言うまでもありません。
そんな彼女ですが、7月~8月末までの2か月間は家を空けていました。
2ヶ月のバケーションだった訳ではなく、出身地であるバスクに叔父さんが普段使わない別宅を持っていて、そこに滞在して仕事をしていました。コロナ以前から在宅ワーカーだったので普通に忙しかったそうです。
実は7月にその家に遊びに行ってきたのですが、スペイン北部にあるバスクはそれほど暑くないし、海も家から徒歩5分。少し不便な場所にあったのですが、夏の間にゆっくり過ごすにはとてもいい所でした。
そんな訳で、まったく予期せずに2か月間バルセロナで一人暮らしをすることになったのですが、1人暮らしはとっても快適でした。
彼女は同年代だし落ち着いた性格なので、一緒に生活していて不快なことはもちろんないのですが、例えば「キッチンの片付けあとでいいや。」とか、暑いので裸でうろうろするとか、人に気を使う必要がないというのはやっぱり楽です。
しかし、ここで問題となったのが”誰とも(直接)話さない”ということ…。
私はスペインに友達があまりいません。
コロナ渦でイベントなども中止されているので人と知り合う機会が少ないし、そもそもこの状況で新しい人と出会うことにあまり積極的な気分にはなれません。
近場の外出はちょくちょくしていましたが、何となくやる気が起きないので家で過ごすことが多かったです。エアコンのない家にいると暑さで更にやる気を失う悪循環に陥って、せっかくの夏はいつの間にか終わりを告げていました。
残念ですが、今年の夏は誰もが消化不良で終了したと思うので、今年なりの過ごし方をしたと言ってもいいのかもしれませんね。
バルセロナで日本語の先生になる
あまり外出出来なかった理由は、単にやる気がなかっただけではありません。
実は、6月からオンラインで日本語の先生(チューター)を始めました。
比較的ゆとりある軍資金をもってスペインにやってきましたが、さすがに1年間無収入で生活出来るほどのものでもなく、働きたくてもスペインには仕事はありません。
苦肉の策で始めたオンラインの日本語チューターですが、初めてみると結構楽しくてありがたいことに事にたくさんの生徒さんからリクエストを貰えるようになりました。
さすがに生活費の全てを稼ぐことは出来ませんが、収入があることは精神衛生上とても重要だなと思います。
私はItalkiで先生(チューター)をしています。
世界中にいる生徒さん達と話すことで得る情報や知識がとても多く、フィジカルでのコミュニケーションはかなり少なかったのですが、毎日誰かしら生徒さんと話をしていたので寂しさをあまり感じませんでした。*むしろおしゃべりな人間じゃないので、これだけでお腹いっぱい。
日本語学習のモチベーションの高い生徒さんと話しているとこちらも感化されくるので、その点もとてもいいなと思います。
私は日本語の先生をしているので、生徒さんとの会話は基本日本語。
スペイン語で会話することがほとんどなかったのに対して、この3ヵ月間は平均して毎日2~3時間はレッスンで日本語を話していました。
スペイン語を話す生徒さんも多いので、説明するときはスペイン語を使うこともあるのですが、久しぶりに話すと言葉に詰まってしまい結構焦ります…。
最近はスペイン語の勉強を再開しましたが、やっぱり座学というよりは会話の練習が必要なので、自分もItalkiで生徒側としてスペイン語のレッスンをするべきなのかもしれません。
スペイン語、話さなければ忘れます
俳句みたいになってますが、冗談ではなくて本当の話。
”スペイン語は現地学習”
このスタンスで、何度か中南米で長期滞在し語学学校に通いました。友達が増え、それに比例して語彙も増え、少しずつスペイン語は上達していきました。
込み入った内容を話すことはまだまだ出来ないし、スペイン語のレベルは一進一退を繰り返してきたのですが、勉強を完全に辞めなかったのは友達がいたおかげです。
自分がItalkiで日本語を教える様になって、片言で話す人の話を理解して会話することが重労働であることを理解したので、私の片言スペイン語に何時間も付き合ってくれた友達には感謝しかありません。
今も電話をしたりSNSなどで連絡を取っていますが、やっぱり離れていると時差もあるし機会はどうしても限られてしまいます。
最近は本当に頻出する単語を思い出せないことがあって、先日「疲れた。」というスペイン語が出てきませんでした。
きっとスペインに来てから半年くらい”疲れない生活”をしていたせいでしょう…。
さすがにこの出来事には自分でも引くほどびっくりしてしまい、何でもスペイン語で考えるように意識するようにしています。
ワーホリ終了まで3か月
まだまだあると思っていたワーホリ生活も、残すところ3ヵ月になっていました。
「今年は頑張って勉強するぞ。」と決意してワーホリに来たのに、勉強はさぼり気味だし、話すことがどんどん下手になっています。
スペインに来てから勉強しなおして文法や時制の理解、”読むこと、書くこと、聞くこと”は以前よりもよくなったと思います。
でも肝心の”話すこと”はというと、進歩していないばかりか悪化傾向…。
かと言って、残り3ヵ月のワーホリ期間は「積極的に外に出ていこう!」という気持ちにもなりません。
ここ2ヵ月の生活は…
Italkiで日本語を教える。
週に2回、日本語教室のお手伝いをする。
スペイン語のオンラインクラスを受ける。
週に1回シェアメイトとごはんを食べる。
特に最近はItalkiで日本語を教える生徒さんが固定されて、大体同じ曜日の同じ時間帯にクラスを希望する生徒さんが多いので何となく1週間の生活リズムが掴みやすくなりました。合間にスペイン語の勉強をしたり、ブログを書いたり、散歩したり、隠居した人みたいな生活を送っています。
バルセロナで生活している意味があるのかと言うと何とも言えないのですが、日本にいれば普通に週に5日ガツガツと働くだろうし、日本では出来ないかなりゆるい生活と思って結構気に入っています。
貯金は底をつきそうだし、不労所得だってないし、金銭面ではカツカツですが…。
こんな感じでコロナ渦のワーホリは終了する予定です。
2週間前にスペイン人の友達と久しぶりにあったのですが、最初は分からなかった所は聞き返していたのですが、酒も入っていたので相手も早口になるし話も長いし、私も疲れてしまって最後は分からなくても聞き流してしまいました。
スペイン人との会話に慣れるには現地での生活が一番なので、数少ないスペイン人の友達とはたくさん話をしたいと思います。
アフターコロナにワーホリは無理?コロナ渦のスペインでワーホリ中の私の考え。
新型コロナウイルスの流行により、予定や計画が狂ってしまった人も多いのではないでしょうか。日本では旅行に行く事さえはばかられる昨今、アフターコロナの世界でワーホリすることは可能なのか考えてみました。
コロナ渦のワーホリ
2020年7月現在、スペインバルセロナでのワーホリ生活も半年を超えました。
ワーホリの1年間はあっという間に過ぎてしまうと思っていましたが、この半年間はあっという間だったような、すごく長かったような、今までに感じたことのない時間の流れ方だった気がします。
半年前の2020年1月にバルセロナに到着した時、この頃から新型コロナは正体を現し始め話題に持ち上がることもありました。でもまさか今の様な事態になるとは誰もが想像もせず、バルセロナでのワーホリ生活は自分でも驚くほど順調に進んでいました。
3月になるとイタリアとスペインでは爆発的に感染者が増え、ロックダウンが始まりました。
学校も当然休校になり、私は仕事をしていませんでしたが飲食店で働く多くのワーホリメーカーは職を失いました。
予定よりも早く帰国する人、飛行機が飛ばなくてなかなか帰国出来ない人、深刻な状況に陥っていた3月、4月は思い通りに生活出来た人の方が少ないと思います。
私自身も3月以降の予定や、やりたかったことは実現不可能となったことも多く、その影響は今も続いています。
2ヵ月以上に及んだ外出禁止生活で、YouTubeやNetflix、スペイン語の勉強、昼寝、ラジオ体操、筋トレ、料理、掃除、テレビ電話、無になる…等、家で出来ることは一通りやりつくしました。
唯一の話相手はシェアメイト1人。
「お互い労りあおう。」と毎週水曜日は交互に料理を作って一緒にご飯を食べました。この期間を経て、シェアメイトと私の仲は深まったと思います。
想像していたワーホリ生活とは全く違った半年間を過ごしました。
コロナによる弊害
「ワーホリに来たばかりなのにコロナになって残念だったね。」とよく言われるのですが、コロナによるワーホリの弊害とは何でしょうか。
すでにスペインで生活していた私にとっては…
・語学学校に行けない。
・バイトが出来ない。
・旅行が出来ない。
・言語交換が出来ない。
・そもそも家から出られない。
まさに”ワーホリの意味ある?”の状態でした。
今は良くなった部分もあるし意味がなかったとは思いませんが、それでも理想とはかけ離れています。
これからワーホリを開始をする人にとって、一番の問題は見通しがつかないことではないかなと思います。
2020年7月29日時点で、自国民や永住権保持者以外の入国を制限をしている国も多く、ワーホリビザを保有していても入国すら出来ない場合もあります。*スペインは入国可能。
この制限は今後の日本国内の感染者数や外交的な問題によって延長される可能性があり、制限が解除される前にワーホリビザの入国期限やビザ申請可能年齢が過ぎてしまうという事態もあり得ます。
「ウイルスが弱毒化している可能性がある。」
「ワクチンが来春には実用化できるかもしれない。」
日々新たな情報が出てくるので状況に変化がみられる可能性もありますが、好転するにも暗転するにも全く見通しはつきません。
こういったなかで1年間のワーホリをすることを決断することはとても難しいことだと思います。
アフターコロナとワーホリ
今後、”以前にように”ワーホリが出来るようになるまでには長い時間がかかると思います。
ワーホリ制度は継続されるし、入国制限が解除されればすぐにでもワーホリを開始することは可能です。でも実際にワーホリして、十分に楽しめるのかと言うと疑問は残ります。
普通はワーホリするならば楽しい海外生活を期待すると思うのですが、Withコロナのワーホリは期待しているほど楽しいものになるとは限りません。
ワーホリを開始したとして…
・語学学校に通えるのか…。
・仕事はあるのか…。
・旅行したり出来るのか…。
・充実した毎日を送れるのか…。
といった問題が出てくるでしょう。一つ一つ考えていきましょう。
【語学学校に通えるか…】
現時点でバルセロナの語学学校は対面授業を再開している学校があるようです。しかし、もしも生徒や先生に感染者が出てしまったら、その学校は一定期間閉鎖されオンライン授業を余儀なくされることでしょう。
閉鎖時の対応や、オンライン授業の質を入学を決める前に確認した方が良いです。
私の通っていた学校は閉鎖時に、週に1回か2回先生からメールにて指示が来たのですが、教科書の問題の解答とライティングを送信して添削してもらうだけでした。非常事態だったし、格安の授業料だったので諦めましたが、お粗末でしたね…。
いつオンラインに切り替わるかは誰にもわかりません。でも、もしオンライン授業なら現地で勉強する必要性はないですよね…。語学学校への通学は不要になるくらい日本でしっかり語学の勉強をしてくる方がいいのかもしれません。
【仕事はあるか…】
これはワーホリで行く渡航国の経済状況によりますが、タイミングも大きいと思います。
就業者のほとんどをワーホリ中の日本人で循環させていたような日本食レストランでは、コロナでのワーホリメーカーの帰国と新しくワーホリを始める人がいないことによる日本人不足で仕事が見つかりやすいかもしれません。
とはいえ世界的にみても失業者・求職者が多いなかで、今まではワーホリメーカーが担っていた職種が現地の人にとって代わるという可能性も考えなくてはいけないと思います。
それからファームの仕事も比較的見つかりやすいのではないかと思います。スペインではピッキングなど農産業は、必須事業とされていてロックダウン中であっても外国人労働者の受け入れと労働を許可していたようです。
どちらにしても、場所によっては仕事がまったくないということはないと思います。
【旅行したり出来るか…】
ワーホリでの入国の制限を解除される段階になれば、少なくとも国内旅行は可能だと思います。州政府に全権を置いている場合は一部地域でロックダウンや移動制限が発生する可能性はあるので国内の動向には注意が必要です。
ただ、仕事や学校がある場合は旅行したことによって自分がクラスターになってしまうリスクを考えると中々行きづらかったり、まとめて最後に行こうと思ったらロックダウンされてどこにも行けなかった…。ということもあるかもしれません。
【充実した毎日を送れるのか…】
充実した毎日の定義はそれぞれ違うと思いますが、これについては分かりません。
例えば、語学学校で友達をたくさん作るはずが閉鎖になってしまって全然友達が出来なかった。バイトが見つからず、金銭的問題で早期帰国を余儀なくされた。自由に旅行も出来なかった。
全てに起こり得ます。お祭りもフェスも全て中止。ランゲージエクスチェンジのグループも開催されていません。
ワーホリ生活での期待は全て裏切られる可能性があるといってもいいかもしれません。
私も想像とはかけ離れたワーホリ生活になっていますが、不満の毎日という訳ではないの「まあいいか。」と思っています。
アフターコロナと新たな日常
日本では新型コロナパンデミック後の世界をアウターコロナやウィズコロナと表現しますが、スペインではコロナ後の世界のことを”新たな日常”と表現しています。
どちらの国の表現も、”コロナの対策をしながら生活していかなくてはいけない”という同じ意味を指していますが、私はスペインの言い方の方が分かりやすくて好きです。
スペインでは今までマスクの習慣がありませんでしたが、義務化された影響もありみんながマスクを着用しています。以前は使い捨てのサージカルマスクをする人が多かったですが、おしゃれな柄の布マスクをする人が増えてきていて、若い世代ほどその傾向があります。おそらく感染症の危険性がなくなればマスクをしなくなるでしょうが、今はマスクの使用がすっかり習慣化しています。
バスは運転席に近いドアの使用が中止されたり、現金は使用不可のお店があったり、入店制限があるので小さなお店の前には行列が出来ていることもあります。
新しい少し不便な日常に対応する一方で、元々ある習慣がなくなってしまう訳ではありません。
スペインの人は基本、カップルや友達、家族などグループ行動をします。キスやハグを問題視する声もありますが、それらを控えたところでバルやカフェで軽食を取りながらおしゃべりをしていたら感染のリスクは高まります。夕方になれば、複数人のグループで夕食の時間までの繋ぎとしてメリエンダ(軽食をとること)を楽しんでいる様子を見かけますが、これはスペインの食文化であり食習慣です。
以前のような日常生活を送ることと感染予防対策を同時に行うことはとても難しい問題で、変化を受け入れられることと簡単には受容出来ないことがあると思います。
すでに全世界に広がってしまったものを完全に消し去ることは不可能とは言い切れませんが、数週間や数か月段位で解決できるものではありません。
世界が変わってしまえばそこで生きる私達の生活に変化があるのは当然で、例え日本にいたとしても、スペインにいたとしても生活は続き、それが日常になっていくと私は思います。
現在進行形の私のスペインワーホリ生活は、やりたかったことも自由に出来ないものとなっています。でもアフターコロナの生活とはこういうものなのではないでしょうか。
ロックダウン中の時期は別ですが、スペインにいて出来ないことは日本でもほとんどが出来ません。そういう生活を続ける=日常になっていきます。
国によって異なる医療制度は大きな問題と不安になるので、”ワーホリをしない”という選択肢にはなると思いますが、”ワーホリが出来ない”ということにはならないと思います。
コロナによって諦めざるを得ないことはたくさんあります。でもワーホリに関していえば「ワーホリをしない。」「ワーホリをする。」2つの選択肢があって、決めるのは他の誰でもなく自分自身です。
バルセロナは感染者数増加のため、”外出自粛要請”がでました。
前回の記事では”バルセロナ市民は夏を満喫中”と書きましたが、早くも感染者数の増加によりバルセロナでは外出自粛要請が出ています。
つかの間の自由
厳しいロックダウンを経て、6月下旬から”新たな日常”に戻ったバルセロナ。
バルセロナやマドリードといった大都市は、規制が解除されるのが一番最後だったのでこの解除を受けてスペインは国内の往来が自由になりました。
マスクの着用義務とソーシャルディスタンスの保持
この2つを守ればスペイン国内を自由に旅行をすることも可能となりました。
前回の記事のように、バルセロナは徐々に活気が戻り始めクラブなどの社交場も再開されました。週末になると近所から夜遅くまで爆音の音楽が聞こえてきたので、自宅でパーティーをする人もいました。
スペインでは多くの人が外出できる自由を楽しんでいたと思います。
私も7月から実家のあるバスク州に帰ることになっていたシェアメイトから「遊びにおいで。」と誘いを受けて、7月12~17日にかけて遊びに行っていました。
電車で行きたかったのですが、希望の時間帯は売り切れ。仕方なく長距離バスを使用したのですが、バルセロナからサンセバスチャンまでの行きのバスは満員でした。
バスク州を満喫しバルセロナに戻った次の日の7月18日、新規感染者数の増加をうけてカタルーニャ州から”外出自粛要請”が出されました。
感染者数の動向
実は6月21日に新たな日常に移行してからも、スペインの各地で大小のクラスターは発生していました。その度にクラスターが発生した一部地域(州や県の一部に限定して)の都市封鎖をして人の往来をなくし感染の拡大を防ごうと対策を講じていました。
しかし対策も空しく徐々に患者数・地域ともに徐々に広がっていってしまいます。
出典:Casos confirmados de coronavirus en España y en el mundo | Sociedad | EL PAÍS
上のグラフは6月23日からのPCR検査で陽性となった新規感染者数を日別で表しています。
スペイン国内での新規感染数が1日に200人以下となったため”新たな日常”へと移行したのですが、ロックダウン解除から2週間過ぎたころから感染者が増えはじめ、青い星印のある7月16人に感染者が急増し1000人に手が届くところまで来てしまいました。
外出自粛要請って意味ある?
罰則付きの厳しいロックダウンの最中ですら、外出による罰金・逮捕をされた人、他人の犬を借りで散歩に出かける人(犬の散歩による外出は許可されていたため、犬のレンタルがあった。)がいたスペインで外出の”自粛要請”をしたところで意味があるのでしょうか?
答えはNOでしょう。
今回の外出自粛要請には罰則はありません。いわゆる不要不急の外出と10人以上の集会の禁止、飲食店は定員の50%以下にするように要請が出ています。
私は最近中心部に行っていないので家の近所の様子しか分かりませんが、人通りは変わらありません。自粛している人は少ないのではないかなと思います。
カフェやバルではテラス席(テラスというかお店の前の道にテーブルが置いてある。)でコーヒーを飲みながら新聞を読んだり、ビールを飲んでいる人をよく見かけます。席の間隔は50㎝くらいしか離れていない所も多いのでが、隣の席の人を気にしている様子もありません。
「外出自粛要請は無意味。」
である理由は、2つの意味があります。
1つ目は…外出自粛要請などの中途半端な対策では感染を抑え込むことが出来ない。という意味。
2つ目は…外出自粛要請を出したところで誰も従わない。という意味。
日本は前者で、スペインでは後者です。
勝手にGo to travel
スペイン経済は観光業の占める割合が高く、観光業の復興は最重要課題といっても過言ではありません。経済回復と感染拡大予防はとてもセンシティブな問題です。
日本ではGO TO キャンペーンに対して様々な意見が飛び交っていると思います。
スペインはと言うと…、少なくとも旅行をしたところで後ろ指さされるような風潮はありません。
バルセロナを含むいくつかの地域では州政府により外出自粛要請が出ています。しかし観光客の受け入れは続いており、美術館等の観光施設も開業しています。
私も新規感染者が増える前の7月12~17日にかけてバスク州へ旅行に行きましたが、自粛ムードは全く感じませんでした。
ビルバオにあるグッゲンハイム美術館に行った時は開園前に行列が出来ていたし、ビーチは夏の湘南の海と同じくらいの人がいました。
ちなみに、旅行中アジア人差別はなかったです。
バルセロナと違ってアジア人は少ないので道を歩いているときに視線を感じることはありますが、悪意のある行動や言葉をかけられるようなことはありませんでした。
道に迷ったり、バスや電車に乗る時に質問しても親切に教えてくれて、正直に言って日本人の方がよっぽど日本語の得意ではない外国人に不親切だよな…と思うくらいでした。
色んな考えをもった人がいるわけなので差別が全くないということはないでしょうが、過度な心配は不要だと私は思います。
スペイン人の多くが「コロナの為に今年のバケーションは旅行が難しい。」と言いますが、それは長期間海外に行くことを前提としているのではないかと思います。
日本の夏休みは1週間程度ですが、スペインでは1ヵ月以上のバケーションを取ることは普通です。私はシェアメイトがロックダウンの最中でもバケーションの心配をしていたことがとても不思議でしたが、スペイン人にとってはバケーションは夏の生活の一部なのではないかなと思うようになりました。
だから仕事のない1ヵ月の間にビーチや山、地方から都市部に数日行く事はただのお出かけであって、彼らにとっては旅行とは言えないのかもしれません。
スペインでは今年は海外に行かず国内旅行をする人が増えているそうですが、スペイン観光産業にとっては焼け石に水でしかありません。観光業を支えているのは外国人観光客であって、特にバルセロナは人口の倍以上の外国人観光客が訪れ、近年は観光客数の削減に動き出したほどでした。
私がスペイン人だったら自分の国の未来が不安でたまりませんが、スペイン人たちからあまり悲壮感を感じないのはラテン気質によるものなのでしょうか。